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奈良地方裁判所葛城支部 昭和56年(ワ)37号 判決

原告

坂下得治郎

原告

坂下チヨエ

右両名訴訟代理人

山田庸男

山田磯子

松原伸幸

坂口勝

被告

香芝中央病院こと

吉川元治

右訴訟代理人

渡部史郎

大正健二

高木甫

主文

一  被告は原告両名に対し、それぞれ金一三七七万五〇七三円および内金一三五二万五〇七三円に対する昭和五四年一二月三〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告両名のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告両名の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告両名に対し、それぞれ金二七五一万三七一六円および内金二七二六万三七一六円に対する昭和五四年一二月三〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告両名の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告両名の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告らは、亡坂下都美子(昭和五四年一二月三〇日死亡・当時三八歳・以下「都美子」という。)の相続人であり、同女死亡によりその地位を承継した。

他方、被告は、香芝中央病院(以下「被告病院」という。)の院長兼経営者である。そして、被告病院は、内科、外科、小児科、整形外科、脳神経外科、東洋医学、理学療法、放射線科などの診療科目を持つ、病床一四六床を有する総合個人病院である。

2  診療契約の成立

都美子は、昭和五四年一二月一九日午後一一時三〇分ころ、突然自宅で、激しい頭痛、嘔吐等の病状に襲われ、一時目が見えなくなつたため、同月二〇日午前四時ころ、被告の肩書住居地にある被告病院に救急車で搬送されて入院し、そのころ、原告らと被告との間で、被告が主治医として都美子に対し、右疾病の原因解明とこれに対する適切な治療行為をなすことを約する旨の診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した。

3  診療の経緯等

被告による診療経過と転院後の状況は以下のとおりである。

(一) 都美子は、被告病院に入院した際、激しい頭痛と嘔吐を訴えていたが、被告は、都美子に対しCTスキャンほかの検査を了し、付添人の原告坂下チヨエ(以下「原告チヨエ」という。)、原告の兄、姉らに、軽い脳膜炎であるから日時が経てば完治すると説明した。

(二) しかし、都美子は、同月二一日になつても激しい頭痛が続き意識障害が現われ、目の焦点も定つていない様子であつたが、被告を含む医師らの回診はなかつた。

(三) 翌二二日、都美子の姉らは、都美子の右症状が一時的に回復し、意識清明となり、その痛みも軽快したので、被告のいうとおり軽い脳膜炎であつたと安心し、退院の準備を始めた。

(四) ところが、同月二三日になつて、都美子は、再び症状が悪化し、目の焦点が合わなくなり、また左手でコップが持てなくなり、左運動機能麻痺の症状が現われ、高熱と頭痛を訴えるようになつた。

(五) さらに、同月二四日にも、都美子には意識障害、運動機能麻痺のほか頭痛と高熱があつたが、被告病院では、看護婦が投薬等の処置をしたのみで、被告を含む医師らの回診はなされなかつた。

(六) そして、同月二五日には、都美子の右症状が一層悪化したので、都美子の姉らは、被告の治療に不安を感じて転院を決意し、翌二六日午後都美子を奈良県立三室病院に転院させた。

以上のとおり、被告病院での入院時から退院時まで、医師の回診は一度もなく、看護婦による点滴、体温等の測定、投薬、注射がなされただけであつた。

(七) 右転院後、三室病院では、同院医師が都美子の病状を見て即座にクモ膜下出血であると診断したが、腰椎穿刺により右の症名が確定的に診断され、脳血管撮影により動脈瘤が発見され、血管攣縮も著明であることが判つた。

(八) そこで、三室病院医師は、都美子に対して、もはや右症状悪化により手術不適応と判断し、保存的療法と水頭症予防のため脳室ドレナージを行ない、万全の処置を尽くしたが、都美子は、同月三〇日午前零時七分、死亡するに至つた。

4  被告の債務不履行ないし不法行為

(一) 被告には、以下のとおり、本件診療契約上の債務不履行があつた。

(1) 都美子には、被告病院での初診時、急激かつ激しい頭痛・嘔吐・項部強直等のクモ膜下出血の定型的症状が出ていたのであるから、被告としては、クモ膜下出血を疑い、同女に対し、脳血管撮影や腰椎穿刺による血性髄液の検査を行ない、クモ膜下出血の有無についての診断をすべきであつたにもかかわらず、CTスキャンによる不鮮明な画像を軽信して右諸検査を怠つた結果、急性脳膜炎と誤診し、そのため都美子に対する適切な治療をなし得なかつた過失がある。

(2) さらに都美子には、被告病院入院後は、意識障害や半身麻痺等、脳膜炎と識別し得るクモ膜下出血の定型的症状が著明となつたのであるから、被告としては、かかる臨床的症状を適確に把握し、都美子に対して、鑑別診断のために脳血管撮影、腰椎穿刺、CTスキャン等の諸検査を実施し、クモ膜下出血の診断をしたうえで、専門医による適切な治療を受けるよう勧告するか、あるいは同女を転医させるべき義務があつたにもかかわらず、右諸検査を怠り、都美子に対し適切な治療を受けさせる機会を失わせた過失がある。

(3) さらに、被告としては、同女が被告病院に入院中、同女に対しクモ膜下出血の疑いを持つたが、この場合も自らが専門的な診断と治療をなし得ないときには、都美子に対し専門医への転医を勧告するか、あるいは同女を転医させるべき義務があつたにもかかわらずこれを怠り、都美子に対し適切な治療を受けさせる機会を失わせた過失がある。

(二) また、被告には不法行為上の過失もある。すなわち、被告は、医師として、人の生命および健康を管理すべき業務に従事するものであるが、その業務の性質上、当時の医学水準に照らし最善の注意を用いて、各種の検査および身体各部の触診、視診および問診等により、その発症原因の究明に努め、適切かつ妥当な治療を施し、また自己の医療機関で発症原因の究明が不可能もしくは適切な治療がなしえない場合には、早期発見、早期治療の方針で、速やかに専門医の診断と治療を受けるよう勧告すべき注意義務があつたところ、これを怠り、都美子に対し、前項のような不十分・不適切な診断を行ない、あるいは診断の機会を失わせた過失がある。

5  因果関係

前記3の診療経過より明らかなとおり、都美子は、昭和五四年一二月一九日午後一一時三〇分ころ、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血をきたしたものであると考えられるところ、これについては、右出血が大量である場合には、頭蓋内圧の亢進により脳ヘルニアを惹起し、数分ないし数時間で死亡することがあるが、右出血が少量で一命をとりとめた場合には、出血後二四時間から四八時間以内の急性期に外科手術を行えば、一〇〇パーセントに近い割合で救命しうるものとされている。

しかるに、被告は、都美子が右出血により急死しないで一命をとりとめたのに、入院期間中、同女に対し看護婦による前記点滴等の措置のほかには何らの治療措置等をとらず、その症状を進行させ、外科手術の時期を失わせたため、同女を死に至らせたものであるから、被告の本件診療契約上の債務不履行または不法行為と同女の死亡との間には相当因果関係がある。

従つて、被告は、都美子の相続人である原告両名に対し、被告の債務不履行または不法行為により被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

6  損害

(一) 都美子の損害

(1) 逸失利益 金三七三二万七四三二円

(イ) 都美子は、本件死亡当時、ホステスとして稼働し、その平均月収は金三八万〇七一一円であつたところ、生活費の控除率については都美子は女性であり、原告両名と同居していたことから三〇パーセントとするのが相当である。また都美子は、当時三八歳であり、ホステスとして四五歳までは、右の収入を維持しながら働き得るので、その就労可能年数は八年である。そこで、この間における都美子の逸失利益をホフマン式計算方法によつて算出すると、金二一〇七万〇二四八円となる。

(ロ) また、都美子は、四六歳以降は、少なくとも六七歳までの二一年間就労が可能であり、この間、昭和五四年賃金センサス記載の年令別月額平均給与額金一三万七二二二円に相当する金員を得ることができたものである。

そこで、生活費控除率三〇パーセントとして、この間における都美子の逸失利益を前同様の方法で計算すると金一六二五万七一八四円となる。

(2) 慰藉料 金一五〇〇万円

(3) 葬祭費、墓石費 金一二〇万円

(4) 相続〈略〉

(二) 原告両名の損害

(1) 慰藉料 各金五〇万円

(2) 弁護士費用 各金二五万円

7  よつて、原告両名は被告に対し、債務不履行または不法行為による損害賠償としてそれぞれ金二七五一万三七一六円およびこれより弁護士費用を控除した内金二七二六万三七一六円に対する本件不法行為後である昭和五四年一二月三〇日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実はいずれも認める。ただし、脳神経外科は昭和五五年一〇月一日より開設されたものである。

2  同原因2の事実中、都美子が昭和五四年一二月二〇日午前四時ころ被告病院に搬送されて入院し、原告らと被告との間で、原告ら主張通りの本件診療契約が締結されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  同原因3の事実中、被告が都美子入院時に同女に対しCTスキャンの検査をしたこと、同女が原告ら主張の日に奈良県立三室病院に転院し、昭和五四年一二月三〇日死亡したことは認めるが、その余の事実はいずれも否認する。

4  同原因4の事実中、被告が同女に対し、脳血管撮影や腰椎穿刺による検査をしなかつたことは認めるが、その余の事実はいずれも否認する。被告が右各検査をしなかつたのは次の理由によるものである。すなわち、被告は、都美子の入院時に、同女に対しCTスキャン撮影を行なつた結果、「腫瘍なし、出血巣なし、梗塞像なし。」の所見を得、その他の所見と総合しても、その時点においては脳動脈瘤によるクモ膜下出血と断定するに足りるものはなく、むしろ、熱性脳炎、脳膜炎の疑いが強かつたので、その旨診断したものである。ところで、脳膜炎とクモ膜下出血とを鑑別する方法として、脳血管撮影や腰椎穿刺等の方法があるが、脳血管撮影は患者の全身状態が不良のときに行なうのは合併症を惹起し易く生命に危険を及ぼすおそれがあり、また、腰椎穿刺も患者の脳圧が高いときは生命を脅かす可能性が大きいので、このようなときにはこれらを回避あるいは禁忌すべきものとされている。そして、被告としては、都美子の入院後、同女の全身状態が不良であつたため、同女に対し脳血管撮影を行なうことは合併症を惹起し易く、そのため生命に危険を及ぼすおそれがあると判断し、即時にこれを行なうことを避け、同女の全身状態を観察しながら実施可能状態になればこれを行なう予定でいたのであるが、それ以前に同女が転院したため、これを実施するに至らなかつたものである。また、被告は、腰椎穿刺についても、当時、同女に脳亢進状態が認められたので、即時にこれを行なうことを避け、脳圧が低下して実施可能となればこれを行なう予定であつたが、前同様退院のためこれを実施することができなかつたものである。そして、被告としては、同女の入院期間中、同女の症状の変化に留意して正確な病名の把握に努め、同女に対し、その時々における症状に応じた適切な治療方法を講じてきたものであるから、被告の処置には何らの過失もなかつたものというべきである。

5  同原因5の事実はいずれも否認する。

6  同原因6(一)(4)の事実中、原告両名が都美子死亡により、その権利義務を各二分の一宛相続したことは認めるが、その余の同原因6の事実はいずれも否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者および診療契約の成立

請求原因1の事実全部および同2の事実のうち、都美子が昭和五四年一二月二〇日午前四時ころ、被告病院に搬送されて入院し、原告らと被告との間で、原告ら主張通りの本件診療契約が締結されたことはいずれも当事者間に争いがない。

二診療の経緯等

〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができる。

1  都美子(昭和一六年一一月九日生まれ)は、昭和五四年一二月一九日午後一一時ころ勤務先から帰宅し、風呂に入つたのち夕食をとつている途中で頭痛と視力の一時低下などを訴え、まもなく、激しい頭痛と吐き気を催すに至つたので、翌二〇日午前四時ころ、原告チヨエや兄姉らに付添われて、被告病院に搬入された(ただし、同女がそのころ被告病院に搬入されたことは当事者間に争いがない。)。

なお、被告病院には、当時、脳神経外科は設置されておらず、これが設置されたのは昭和五五年一一月ころである。

2  そのころ、被告病院では、内科を専門とする被告が都美子の診察にあたつたが、被告は、その際、右付添人らより、都美子には激しい頭痛と発熱がある旨聞かされ、さらに同女を診察して、同女には意識障害や咽頭発せきと運動機能麻痺による歩行困難のほか、項部硬直とケルニヒ症候があるものと判断し、同女に対し脳炎あるいは脳膜炎(髄膜炎)の疑いをもつた。

3  そして、被告は、直ちに、都美子に対し、被告病院に設置されていたCTスキャンによる撮影をしたが、その撮影フィルムには、同女の頭部に出血の形跡を認めることはできなかつた。しかし、右フィルムは、同女が右撮影時に動いたため、中程度の鮮明度しかなかつた。

4  都美子は、そのまま被告病院に入院し、同日午後四時ころ、同病院の外科医西代博之が同女を診断したが、右診断後、同医師は、被告に対し、同女の病症について、クモ膜下出血の疑いもある旨指摘した。

5  そこで、被告は、そのころ、都美子の病症は、脳膜炎かクモ膜下出血かのいずれかであり、その可能性は、前者が六分、後者が四分であると判断した。

(一)  ところで、クモ膜下出血とは、クモ膜下腔に出血が起こり、脳背髄液に血液が混入した状態を指すが、これと脳膜炎とは、激しい頭痛、項部硬直、ケルニヒ症候など共通した症状があらわれてくる。

(二)  そして、クモ膜下出血は、最初の出血からできるだけ早期に外科的手術を行ない、再出血を防止すれば、その生存率は、後記(八)のとおり、極めて高い。

(三)  従つて、医師が患者に対しクモ膜下出血の疑いを抱いた場合には、直ちに、クモ膜下出血の有無につき後記検査等による診断をすることが必要である。

(四)  クモ膜下出血の有無についての主な検査方法としては、CTスキャンおよび腰椎穿刺による髄液検査がある。

(五)  CTスキャンによる検査は、出血後すぐのクモ膜下出血の症例の大部分が撮影しうるから、クモ膜下出血の診断について有効な方法であるが、患者が撮影時に動くと、その鮮明度が落ち、右出血が撮影できないこともある。

(六)  腰椎穿刺による髄液検査の方法は、クモ膜下出血により髄液中に赤血球が出て、出血後二時間ほどして赤色のヘモグロビンが上清液にみられ、さらに三ないし四日すると黄褐色のビリルビンがあらわれることから、出血の有無および出血時期も判断することができるもので、これも、クモ膜下出血の診断について有効な方法である。

(七)  腰椎穿刺による髄液検査は、医学上、頭蓋内圧(脳圧)亢進が著しく、眼底にうつ血乳頭を認める場合は、不用意に髄液採取を行なうと脳ヘルニア等の余病を併発し、致命的な結果を招くおそれがあるが、このような場合でも、右検査を慎重に行ない、かつ髄液の採取量を少量(一ミリリットル未満)に止めれば格別の問題は生じないものとされている。そして、頭蓋内圧亢進と血圧、脈拍、呼吸とは、相関関係にあり、脳病変で頭蓋内圧が亢進し続けると、血圧は最高血圧一八〇ないし二〇〇ミリメートルHG以上になり、脈拍については毎分五〇ないし六〇の圧脈が発生し、呼吸は遅く(毎分九ないし一〇回)、かつ深くなり、脳ヘルニアを起すのは収縮期血圧で二〇〇ミリメートルHG以上になつた場合であるとされている。

(八)  クモ膜下出血発作による出血が多量の場合には、右出血後数時間以内に急死することがあるけれども、右出血が少なく一命をとりとめた場合には、急性期である右出血後二四時間から四八時間以内に外科手術を実施して再出血を防げば、その生存率は極めて高い(ただし、ハントとコスニックによる脳動脈瘤の重症度判定基準のグレードが一ないし二である場合)が、右出血後三日以上を経過し、右グレードが四ないし五になれば、その生存率は極めて低くなる。従つて、クモ膜下出血の疑いが生じた時には、直ちに右検査によりその確定診断をしたうえ、脳血管撮影を行なつて脳動脈瘤の個所を発見し、右のような早期手術適応状態にあると考えられるときは、速やかに外科手術を行なう必要がある。

(九)  以上のクモ膜下出血の診断方法、治療方法、外科手術の必要性等については、本件当時における医学水準上、医師一般がこれを知りまたは知り得べき状況のもとにあつた。

6  このようなことから、被告は、同日、脳膜炎かクモ膜下出血かの確定的診断をするためには、都美子に対し、腰椎穿刺による検査を実施すること、あるいはCTスキャンによる再撮影をして、より鮮明なフィルムを得ることが必要であると一応考えたが、腰椎穿刺による検査については、同日における同女の血圧が最高血圧九八ないし一二六ミリメートルHGで、脈拍もやや上昇気味であつたものの、いずれも正常範囲を示していたのに、同女の頭痛、項部硬直、ケルニヒ症候などの諸症状だけからして、同女に対し、眼底検査等(ただし、被告病院には、当時、眼底検査をする機械は設置されていなかつた。)による頭蓋内圧亢進度の検査等をしないまま、直ちに、同女の頭蓋内圧が著しく亢進しているものと断定し、同女に対し、腰椎穿刺による検査をすることは避けた方がよいと考えてこれを実施せず、また、同女が静止できる状態になつたのに、CTスキャンによる再撮影も行なわず、同女に対し、点滴等をしたほか、その経過を観察するだけであつた。そして、被告は、同女に対し脳血管撮影も実施しなかつた。

7  そして翌二一日、再び西代医師が都美子を診察したが、同医師は、都美子の頭痛が持続していることなどから、脳動脈瘤の疑いを明確にもつに至り、カルテにもその旨を記載した。

8  同月二二日になり、都美子は、症状が一時的に回復し、やや意識が明瞭になつたけれども、同月二三日になつて再び頭痛と運動障害が生じ、同月二四日には高熱と激しい頭痛を訴え、意識障害も生じ、同月二五日も同じような症状が続いたが、被告は、その間、同女に対し、点滴、体温、血圧の測定、解熱剤、鎮痛剤の投与等をしてその経過を観察するだけであつた。

9  そこで、都美子の兄姉らは、都美子の容態が悪化しているのに被告が右投薬等の措置しか施さないので不安な気持になり、被告より、積極的な転院勧告もなかつたので、同月二五日、被告に都美子を奈良県立三室病院に転院させたい旨を申し入れ、被告の承諾を得たうえ、翌二六日午後六時ころ、都美子を被告病院から県立三室病院へ転院(ただし、都美子が同日同病院に転院したことは当事者間に争いがない。)させた。しかし、被告は、右転院の際、都美子の付添人や三室病院医師に対し、積極的に、疑いある診断内容や検査等につき具体的な説明をしなかつた。

10  都美子の転院した県立三室病院では、右転院直後、脳神経外科医の増田彰夫が都美子を診察したが、その際の同女の症状は、意識朦朧状態で運動不穏、強い頭痛、項部硬直があり、さらに眼底視神経乳頭の軽度うつ血、左側運動麻痺がみられたので、同医師はクモ膜下出血の疑いをもち、同日、同女に対し、直ちに腰椎穿刺による検査をした。

11  そして、同日、同医師は、腰椎穿刺による検査の結果、髄液は血性でやや黄色調を呈していたことから、都美子の病症はクモ膜下出血であり、その発症時期は、同女が食事中頭痛を訴えた同年一二月一九日であると確定的に判断した。

12  続いて、同日、同医師は、クモ膜下出血の部位を発見するため、直ちに、同女に対し、脳血管撮影検査を行なつた結果、右内頸動脈と後交通動脈の分岐部に動脈瘤を発見したほか、内頸動脈より末梢の主要脳血管全体にわたつて血管攣縮を発見した。

13  そして、同医師は、同日、以上のような都美子の状態は、前記重症度判定基準のグレード三ないし四に該当するものと考え、一般的に、このような状態にある患者に対して外科手術を施すことは危険が大きいから、同女に対し外科手術はできないと判断し、同女に対し鎮静剤を投与するなどの保存療法を施すとともに、脳室ドレナージを行なつたが、翌二七日にも都美子には強い頭痛と運動不穏が著しく、同日午後二時に、再び同女に対し脳内部の検査のため腰椎穿刺と脳血管撮影を行なつた結果(なお、右各検査による脳ヘルニア等の発生はなかつた。)、クモ膜下出血のほかに水頭症の所見が出るに至り、同日午後五時には意識水準が徐々に低下し、右上肢の除脳硬直の状態を呈したので、同医師は、都美子のクモ膜下出血は、前記グレード五の段階に達したと判断した。

14  そして、都美子は、同月二八日、二九日と昏睡状態が続き、同月三〇日午前七時には対光反射が消失し、同日午後一二時七分、脳動脈瘤によるクモ膜下出血により、死亡するに至つた。

三被告の債務不履行ないし不法行為

以上認定の事実に照らせば、都美子の被告病院入院後である昭和五四年一二月二〇日午後には、被告病院の西代医師が被告に対し、クモ膜下出血の疑いを指摘し、被告自身もその可能性を十分認識していたのであるから、その際、被告としては、本件診療契約上の義務として、クモ膜下出血に対する早期手術の必要性から、直ちに、クモ膜下出血の有無を確定的に診断するため、あらかじめ、頭蓋内圧亢進の程度を検査するなどしたうえ、右確定的診断の有効な一方法である腰椎穿刺による検査の可能性につき遂一判断し、または都美子が検査時に静止しうるころを見計つて再度CTスキャンによる検査をするなどの措置を採り、あるいはこれができないときは、右の確定的診断をすることのできる脳外科の専門医がおり、かつその設備を備えている病院(当時、被告病院には脳神経外科は設置されていなかつた。)に同女を転院させるなどの措置をとるべきであつた。

しかるに、そのころ、被告は、都美子の血圧や脈搏が正常範囲を示していたのに、同女の項部硬直等の症状だけからして、その頭蓋内圧が著しく亢進しているものと即断し、同女に対し、右亢進の程度についての検査をすることもなく、腰椎穿刺による検査が不適であるとしてこれを実施せず、また、同女が静止し得るころを見計つてCTスキャンによる再検査をなし得たのにこれをせず、その他クモ膜下出血の疑いについての確定的診断につき転院等何らの措置もなさぬまま、漫然と、同女に点滴、投薬等の措置をしただけであつたから、被告は、本件診療契約上の債務である都美子に対する十分な診療を施さなかつたものといわざるを得ず、この点で、被告には、右契約上の債務につき債務の本旨に従つた完全な履行を怠つた過失があり、また、不法行為上の過失もあつたものというべきである。

四因果関係

前記認定のとおり、クモ膜下出血で急死せず一命をとりとめた場合には、いわゆる急性期である出血後二四時間から四八時間以内に外科手術を施せば、その生存率は極めて高い(前記グレードが一ないし二の場合)が、右出血後三日以上経過し、右グレードが四ないし五になれば、その生存率は極めて低くなるところ、前記認定の事実に照らすと、都美子の被告病院入院日である同年一二月二〇日当時のクモ膜下出血の病状は少なくともグレード二であったものと認められるから、右入院後二日以内にクモ膜下出血の外科手術が施されておれば、同女は死の結果を免れ得る蓋然性が高かつたにもかかわらず、同女が県立三室病院に転院した際は、クモ膜下出血後既に六日を経過しており、右グレードが三ないし四に達していたことから手遅れとなり、死亡するに至つたと認められるから、被告の前記債務不履行ないし不法行為と同女の死亡との間には、相当因果関係が存在するものというべきである。

そして、前記認定にかかる都美子死亡に至る経緯、被告および三室病院医師の同女に対する各処置、手術時期が異なる場合の生存率、その他本件に現われた諸般の事情を考慮すると、被告の過失による債務不履行ないし不法行為上の損害賠償責任の関係においては、同女死亡に対するその起因力を一〇分の六と評価し、その限度において、被告の損害賠償責任を肯定するのが相当であると認める。

五原告両名の損害

1  都美子の被つた損害

(一)  逸失利益

〈証拠〉によれば、都美子は、本件死亡当時、満三八歳の独身の女子であり、本件発病までは健康であつて、ホステスとして稼働し、その月平均賃金は金三八万〇七一一円であつたこと、都美子は少なくとも満四五歳までの八年間は、右収入を維持しながら稼働しえたこと、また満四六歳以降は、満六七歳までの二一年間就労しえ、この間は、当裁判所に顕著な労働省発表の昭和五四年賃金構造基本統計調査報告(賃金センサス)の女子労働者(学歴計)の平均年間給与額金一七一万二三〇〇円(月金一一万四九〇〇円・年間賞与等金三三万三五〇〇円)を下回ることのない収入を得ることができること、満三八歳より満六七歳に至るまで生活費がその所得の四〇パーセントを超えないこと、が認められるから、右認定事実を基礎として新ホフマン方式で年五分の割合による中間利息を控除して都美子の逸失利益を計算すると、左記のとおり金三二五五万〇二四四円となる。

そして、右逸失利益のうち、被告において負担すべき金額は、その六割に相当する金一九五三万〇一四六円となる。

(二)  慰藉料

前記認定の本件診療経過、都美子の年齢、生活関係、被告の過失の内容、程度、因果関係の割合等本件弁論にあらわれた一切の事情に照らせば、都美子の精神的苦痛に対する慰藉料としては金六〇〇万円が相当であると認める。

(三)  原告両名が都美子死亡によりその権利義務を各二分の一宛相続したことは当事者間に争いがないので、原告両名は、右(一)、(二)の損害合計金二五五三万〇一四六円の二分の一である金一二七六万五〇七三円の被告に対する損害賠償請求権を相続により各取得したことになる。

2  原告両名の被つた損害

(一)  葬祭費、墓石費

〈証拠〉によれば、原告両名は、本件事故による葬祭費として各金三五万円を、墓石費として各金二五万円を支出せざるを得なくなつたことが認められるので、このうち被告が負担すべき金額はその六割に相当する各金三六万円(計金七二万円)となる。

(二)  慰藉料

その慰藉料としては、それぞれ金四〇万円が相当であると認める。

(三)  弁護士費用

原告両名につき各金二五万円が相当であると認める。

3  従つて、被告は原告両名に対し、それぞれ都美子の損害賠償請求権相続分の金一二七六万五〇七三円と固有の損害賠償請求権金一〇一万円の合計金一三七七万五〇七三円と弁護士費用を除いた内金一三五二万五〇七三円に対する都美子死亡日である昭和五四年一二月三〇日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

六結論

よつて、原告両名の本訴請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(松本朝光 平井重信 井口博)

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